そう思っていたのだけれど

そう思っていたのだけれど、甲斐と付き合い始めてから一ヶ月が経過した頃、私は偶然久我さんに会ってしまったのだ。

 

 

九月になり季節は夏から秋へと移り始める。

まだまだ気温は暑いけれど、Botox去皺 夏のような蒸し暑さは感じられなくなり、トンボが空を飛ぶ姿をちらほらと目にするようになってきた。

 

 

私と甲斐が付き合い始めたことは、既に職場内には知れ渡ってしまっていた。

甲斐から私と付き合い始めたことを聞かされた青柳が、うっかり職場の同僚にその事実を話してしまったことがキッカケだ。

 

 

いつか知れ渡るとは覚悟していたけれど、その反響はなかなかのものだった。

きっと甲斐が職場内の誰からも好かれる人気者だからだと思う。

 

 

例えば私が院内の食堂で昼食を食べているときも、周囲からの視線が気になるようになった。

今まで全く話したこともない人から、話しかけられることも増えた。

 

 

「君、甲斐と付き合ってるんだってね。アイツ、いいヤツだからよろしくね」

 

 

「甲斐くんのこと、絶対裏切るようなことはしないでね」

 

 

などと、私に声を掛けてきた人は男女問わず皆、甲斐に好感を抱いている様子だ。

まさか院内の全員と親しいのではと思ってしまうほどだ。職場恋愛なんて決して珍しくはないし、周囲にも堂々と職場恋愛を楽しんでいるカップルもいれば、隠しながら交際している人たちもいる。

 

 

慣れれば周囲の意見や視線など気にならなくなるのだろうけれど、職場恋愛が初めての私にとっては、なかなか無視出来ない問題なのだ。

 

 

反対に、甲斐は周囲の視線など全く気にしていない様子だ。

むしろ、私との交際のことを同僚に追及されても、一切困惑することなく上手に対応しているらしい。

 

 

私はいちいち真に受けて考え込んでしまうタイプだから、甲斐のように他人に惑わされない性格になりたいと強く願ってしまうのだ。

 

 

この間甲斐と二人で部屋でくつろいでいたときに、甲斐のような性格になりたいと打ち明けた。

すると甲斐は、笑いながら私の頭を撫でて言った。

 

 

「七瀬は、今のままでいいじゃん。俺はそのままの七瀬を好きになったんだから」

 

 

当たり前のようにそんなことを言ってくれる甲斐の優しさと懐の深さに感動して、私は泣きそうになるのを必死に我慢した。

 

 

甲斐の言葉は、私に勇気をくれる。

いつも嬉しくなるような言葉ばかり貰っているけれど、私はちゃんと返せているのだろうか。

 

 

金曜日の夜。

業務後に一時間のミーティングを終えた後、そんなことを考えながら私はいつも買い物をするスーパーに向かって歩いていた。こうやって街中を一人で歩いていると、今ここで真白さんに遭遇したらどうしようとたまに考えてしまう。

 

 

真白さんには、甲斐から私と付き合い始めたことをメールで伝えたらしい。

もう連絡は取らないことも伝えてくれたからか、甲斐に真白さんから連絡がくることはなくなった。

 

 

入院していた彼女の母親も退院したからか、真白さんが病院に姿を現すこともなくなった。

 

 

彼女が私に吐いた嘘にはみっともないくらい惑わされてしまったけれど、過去に甲斐が愛した女性が嫌な人だったとは思いたくない。

 

 

出来れば甲斐のことはもう忘れて、完全に過去の恋として終わらせてほしい。

そして、真白さんには新しい恋に向かって歩み始めてほしい。

勝手だけれど、甲斐を好きになる女性なんてこの先私一人だけでいいと本気で願ってしまうのだ。

 

 

「七瀬さん?」

 

 

そんな強い独占欲が胸の奥で疼いているときだった。

目の前で私を見つけ立ち止まる人の姿を見て、思わず呼吸を忘れそうになった。

 

 

そこには、久我さんがいたからだ。

 

 

「久我さん……!」

 

 

「驚きました。本当に僕たち、よく会いますね」

 

 

久我さんは以前と変わらない笑顔を、彼に散々嫌な思いをさせてしまったはずの私に向けてくれたのだ。「一ヶ月振りくらいですね。元気にしていましたか?」

 

 

「あ……はい。元気にしています。久我さんは……?」

 

 

「僕は元気じゃなかったですよ。一ヶ月前、七瀬さんに振られたんで」

 

 

一気に気まずさを感じて返す言葉に困ったのも束の間、久我さんはすぐに笑い飛ばしてくれた。

 

 

「冗談ですよ。確かに振られたのはショックだったけど、覚悟はしてたんで。意外と元気にやってます」

 

 

どちらの言葉が本音なのか、やっぱりこの笑顔を見ても判断は出来ない。

でも元気にやっているという言葉が聞けただけで、少しホッとした。

久我さんには悪いことをしてしまったと、ずっと気になっていたからだ。

 

 

「あの、久我さん。甲斐とのこと……本当にありがとうございました」

 

 

「僕は七瀬さんに礼を言われるようなことは何もしてないですよ」

 

 

「そんなことないです。……今私が甲斐のそばで笑っていられるのは、久我さんや蘭のおかげだと思ってますから」

 

 

二人が背中を押してくれたから、今の私がいる。

自分一人の力では、いつまで経っても前に進むことは出来なかったと思う。

 

 

「彼とうまくいってるんですね。良かった」

 

 

甲斐と付き合い始めてから、まだ一度もケンカはしていない。

ちょっとしたことで言い合いになることはあるけれど、次の瞬間にはもう笑って話せている。

 

 

だからきっと、うまくいっているという表現は間違っていない。「そうですね……多分うまくいってると思います。でもまだ、一ヶ月なので」

 

 

「どうして多分なんですか?もっと自信を持って幸せだってアピールすればいいのに」

 

 

「……そういうの、苦手なんです」

 

 

遥希と付き合っていたときも、自分は幸せだと思っていた。

付き合いが長かったから多少マンネリ化している部分はあったけれど、それでも交際はうまくいっていると信じていた。

 

 

でも結局、そう思っていたのは私一人だけだったのだと、遥希の浮気現場を目撃したときに気付いたのだ。

 

 

あのときの虚しさを忘れることは、きっとない。

だから今も、この幸せが独りよがりな幸せだったらどうしようと考えてしまう。

 

 

「七瀬さんは、もっと自分に自信を持った方がいいですよ。せっかくいい恋をしているんだから、謙遜するのは勿体ない」

 

 

「自信……ですか」

 

 

仕事に関しては自信を持って取り組むことが出来るのに、恋になると途端に臆病になってしまう。

それに、年齢を重ねる度に慎重さが更に増している気がする。

 

 

きっと傷付いた経験が、人を変えていくのだろう。

 

 

「じゃあ、そろそろ僕行きますね。また今度七瀬さんの眼科に行くので、そのときはよろしく」

 

 

「あ……はい!お疲れ様です」

 

 

「何かあれば、いつでも相談に乗りますよ。じゃあまた」

 

 

そう言って久我さんは穏やかな笑みを浮かべた後、颯爽とその場から立ち去って行った。

「七瀬さん

「七瀬さん、今日は何かいいことがあったの?」

 

 

「え?」

 

 

「表情から、凄く幸せオーラが出ているから気になって」

 

 

毎週治療で顔を合わせる患者さんからも、そんなことを言われてしまう始末。

自分でも気付かない内に、嬉しさのあまりにやけてしまっていたのだろうか。

 

 

「そうですね……良いことはありました」

 

 

「やっぱり。恋愛関係かしら?」

 

 

「まぁ……そんなところです」

 

 

「若いっていいわねぇ。best singapore stock broker今度詳しく話聞かせてちょうだいね」

 

 

「わかりました」

 

 

患者さんとのやり取りの間も、普段より気持ちが弾む。

恋をすると世界が変わって見えると昔誰かに聞いたことがあったけれど、今まで恋をしても世界が変わったと思えたことなんてなかった。

 

 

でも今は、新しい世界が開けたような、未知の領域に足を踏み入れたような、そんな気持ちになっていた。

 

 

昼休みの時間になり、私は同じく昼休み中の蘭と院内の食堂で合流した。

昨日のことで、まだ蘭にちゃんと感謝の気持ちを伝えていなかったからだ。

 

 

日替わりランチのハンバーグ定食の食券を購入し、列に並んで食事を受け取りテーブルに向かうと、蘭は先に食事を始めていた。「お疲れ様」

 

 

「お疲れー。ねぇ、昨日の夜どうだった?どんなエッチしたの?私のファインプレーのおかげで、かなり盛り上がったでしょ」

 

 

私が席に座るなり、蘭は興味津々といった表情で昨夜のことを聞いてきた。

蘭はいつも周りを気にせず大胆なことを口にしてしまうため、いつも私はヒヤヒヤしてしまう。

 

 

「本当に、蘭のおかげだと思ってる。ありがとう」

 

 

「……良かったね。甲斐は、あんたの元彼よりも百倍いい男だから、今までの百倍幸せになれるよ」

 

 

「百倍は言い過ぎのような気もするけど……うん、幸せになれると思う」

 

 

もう十分、幸せを感じさせてもらっている。

これ以上を望んだら、いつかバチが当たりそうだ。

 

 

「まぁでも甲斐は、誰にでも優しいのは難点だよね。誰からも好かれる人気者だけど、それって誰にでも愛想がいいからでしょ」

 

 

「でも、愛想が悪い人よりは全然いいよ」

 

 

私だけに優しくしてほしい、なんて甲斐に対してはきっと思わない。

甲斐が恋人にだけ優しくするような人ではないことは、最初からわかっている。

 

 

「私は普段クールだけど、彼女にだけはとびきり甘くて優しい男の方が好みだわ」

 

 

そのとき、久我さんの顔が急に頭に浮かんだ。

そういえば……あの後、蘭は久我さんに家まで送ってもらったのだろうか。「そういえば蘭、あの日久我さんの車に乗って帰って行ったよね」

 

 

「仕方ないでしょ、あの人の車で帰るしか帰る方法なかったんだから。あんたと甲斐の邪魔するわけにはいかないし」

 

 

「久我さんの様子、どうだった……?」

 

 

一時は久我さんに気持ちが傾きかけたこともあった。

もしかしたら、この人となら傷付かない恋が出来るかもしれない。

そんな気持ちから、彼からの食事の誘いに何度か乗った。

 

 

でも最終的に私は久我さんではなく、甲斐に気持ちを伝えることを選んだ。

そしてその背中を押してくれたのは、久我さんだった。

彼は私の気持ちを優先して行動してくれたのに、私は彼を傷付けることしか出来なかった。

 

 

「それはもう、見るのも無惨なくらい落ち込んでたよ」

 

 

「えっ」

 

 

「ウソ。本当は、割と平気そうに振る舞ってた。あの人、カッコつけだから他人の前で落ち込むような素振り見せないでしょ」

 

 

確かに、あまり感情を表には出さないタイプの人かもしれない。

久我さんは素敵な人だったけれど、会う度にいつも心の内が読めなかった。

 

 

本心を口にしていたのか、それとも本心は胸の奥に秘めていたのか、わからなかった。「依織が気にするほど落ち込んでないから大丈夫だって。ある程度、あんたと甲斐がうまくいくだろうって覚悟はしてたんじゃない?」

 

 

「……私がこんなこと言うのはおかしいけど……蘭と久我さんって、お似合いだと思う」

 

 

「はぁ?何それ」

 

 

「久我さんってなかなか本心が読めないところあるけど、きっと蘭なら久我さんのこと理解出来る気がするし、二人ってどこか似てるなって前から思ってたの」

 

 

「似てる?私とあの人が?やめてよ……私、あんな腹黒くないから」

 

 

思えば蘭も、久我さんのようにあまり感情を表に出すタイプではない。

どこかクールで、でも親しい相手に対しては情が厚く、他人の心を読む能力に長けている。

 

 

自分のことなんて後回しにしてしまう、お人好しな一面もある。

でも好き嫌いはハッキリしていて、自分というものをしっかりと確立している。

 

 

それに、蘭もなかなか本心を曝け出さないタイプだ。

あまり自分のことについては語ろうとしない。

考えれば考えるほど、久我さんとの共通点が見えてくる。

 

 

「とにかく!あの人の話はやめにしない?それよりさ、勝手に話変えないでよ。私は昨日の甲斐とのエッチの話が聞きたいの」「そんなストレートに聞いてこないでよ。言えるわけないでしょ」

 

 

「何今更恥ずかしがってんのよ。で、どうだった?前に甲斐と勢いでエッチしちゃったときよりも良かった?」

 

 

「……」

 

 

昨夜の甲斐とのセックスは、自分の中だけで大切に覚えておきたい。

答えたくないと思いながらも、良かった事実を否定したくもなく、私はハンバーグを口に運んだ後静かに頷いた。

 

 

「ふーん。なんか甲斐ってさぁ、付き合ったら超甘くなりそうだよね。愛してるとか、平気で言えちゃいそう」

 

 

甲斐が愛してると口にしているところを想像したのか、蘭は苦々しい表情を浮かべた。

本当に、遠慮のない友人だ。

 

 

「やっぱ友達のラブシーンって想像すると気持ち悪いね」

 

 

「蘭が勝手に想像したんでしょ。本当に失礼なんだから……」

 

 

軽く怒ってはみたものの、もちろん蘭に対して本気で怒っているわけではない。

蘭が毒舌なのは昔からだから、失礼なことを言われても少しも気にならない。

私は気持ちを切り替え、話を久我さんに戻した。

 

 

「ねぇ、蘭。久我さんにもし会うことがあったら……ありがとうございましたって伝えてほしいんだけど」

 

 

「……会うことがあれば、ね。一応、頭の片隅に入れておくわ」

 

 

本当は直接伝えたかったけれど、きっともう私が久我さんに会うことはない。

 

今まで、こんなに

今まで、こんなにもセックスが気持ちのいいものだと感じたことはなかった。

 

 

こんなにも気持ちが昂り、執拗に攻められることが嬉しいだなんて、感じたことはなかった。

 

 

「甲斐……好き……」

 

 

甲斐の首に腕を回すと、moomoo singapore 甲斐は余裕のない表情で私の身体の奥深くに入っていく。

 

 

「七瀬の中、凄い……締めつけられてく」

 

 

「だって……気持ちよくて……っ」

 

 

「俺も最高に気持ちいい」

 

 

甲斐が激しく腰を振り始め、私は押し寄せる快感の波に飲まれながら、彼の愛を全力で受け止めた。

 

 

もう、自分がどれだけ乱れてしまっているのかもわからないくらい、ただ目の前の甲斐に夢中になった。

 

 

愛してる。

本当はそう言いたかったけれど、少し重すぎるかもしれないと思い、その分何度も好きだと伝えた。

 

 

普段の私なら、好きなんて簡単に言えない。

でも、甲斐に抱かれているときだけは、自分の気持ちを素直に伝えられたのだ。翌朝、カーテンの隙間から射し込む朝の光を浴びて目が覚めた。

 

 

まどろむ目をこすり起き上がろうとすると、背中に暖かな重みがあることに気が付く。

 

 

「……」

 

 

甲斐は私の腰をがっちりと腕でホールドし、離さない。

でも、明らかに寝息を立てて眠っている。

 

 

甲斐の緩くパーマがかかった髪に触れながら、昨日の熱く乱れた夜を思い出す。

いつ眠ってしまったのかも覚えていないくらい、甲斐とのセックスに夢中になっていた。

 

 

もちろんお互い、今も全裸のままだ。

甲斐の無垢な寝顔を眺めているだけで、心が幸福感で満ちていく。

もしかしたら女の私よりも、寝顔は可愛いかもしれない。

 

 

もう少しこの寝顔を堪能したいと思いながら、ベッドの隣にあるサイドボードに置かれたスマホを見ると、時刻は既に朝七時を過ぎていた。

 

 

「嘘、やばっ!」

 

 

私が勢いよく飛び跳ねたせいで、それまで気持ち良さそうに眠っていた甲斐も目を覚ました。

 

 

「何だよ……どうした?」

 

 

「甲斐、急いで起きて仕事行く支度しないと!もう七時過ぎてる!」

 

 

「うそ、マジで?」

 

 

本当なら甘い朝を迎えたかったけれど、もうそれどころではない。「もう……ちゃんとアラームかけておけば良かった!」

 

 

「昨日はお互いそれどころじゃなかったもんな」

 

 

「……そうだね」

 

 

仕事があることはちゃんとわかっていたけれど、昨夜はアラームをかけて眠るなんて考える余裕はなかったのだ。

 

 

もう少し早く起きていれば、もしかしたら朝から甲斐とじゃれ合う時間が作れたかもしれないのに……そんなことを思いながら床に散らばっている服を拾い上げていると、甲斐の眠そうな声が聞こえた。

 

 

「でも、残念だな。もう少し早く起きてたら、朝から七瀬とイチャイチャ出来たのに」

 

 

「な……」

 

 

この男は、私の心の中を読めるのだろうか。

私が思っていたことと同じようなことを甲斐が口走ったせいで、私は面白いくらいに動揺してしまった。

 

 

「七瀬も、同じこと思ってた?」

 

 

「お、思ってない!」

 

 

「ふーん、思ってないんだ」

 

 

私より先に服を着た甲斐が、私の目の前を通り過ぎて寝室から出ようとしたところで、私は甲斐の手を掴んだ。

 

 

「……ごめん、嘘。本当は、甲斐と同じこと思ってた」

 

 

「お前さぁ……無意識だと思うけど、それ完全に煽ってるから」

 

 

「え?」

 

 

気付けば私は、ベッドに押し倒されていた。「ちょっ……甲斐!」

 

 

「お前が煽るから、スイッチ入った」

 

 

そう言って甲斐は、昨夜のように私に熱い視線を送りながら、私の首筋に舌を這わせた。

 

 

このまま、受け入れてしまいたい。

何もかも忘れて、この甘い時間に酔いしれていたい。

本気でそう思ったけれど、やっぱり社会人としてそこは理性が働いた。

 

 

「もう……イチャイチャしてる時間ないんだってば!調子に乗らない!」

 

 

「じゃあ、キスだけ」

 

 

「もう……」

 

 

起き上がろうとした私に、甲斐は優しいキスをくれた。

キスしている時間さえないくらい、急いで支度しないといけないはずなのに、私は観念してそのまま甘いキスを受け入れた。

 

 

甲斐とキスをしていると、時間を忘れてしまいそうになる。

キスをたっぷり堪能した後、甲斐は出勤前に自分の家に帰って行った。

 

 

私は甲斐が出て行ってから猛スピードでシャワーと化粧を済ませ、朝食は飲むヨーグルトだけを一気飲みして家を出た。

 

 

どうにかキスだけで終わることは出来たけれど、結局職場に到着したのは朝礼が始まる一分前だった。

 

 

「セーフ……」

 

 

「ギリセーフだけど、ほぼアウトに近いセーフね。どうしたの?二日酔い?」

 

 

同僚の看護師から二日酔いで遅刻しそうになったのかと問われたため、私は無理やり話を合わせることにした。

まさか朝からキスに夢中になっていたなんて、言えるわけがない。「実は、そうなんですよ。昨日、飲み過ぎちゃって……」

 

 

「でも、肌のツヤ随分いいわね。二日酔いならもっとむくんでるはずだけど」

 

 

女性は同性に厳しい。

そして男性よりも断然細かいところに目がいくものだ。

それは女性スタッフばかりのこの眼科に配属されてから、身を持って知ったことでもある。

 

 

甲斐と付き合い始めたなんて知られたら、あっという間に院内に噂が広まってしまうだろう。

いつかは知られてしまうことだろうけれど、自分からは敢えて言わないことにした。

追及される前に、逃げるが勝ちだ。

 

 

「何か怪しいわね。本当に二日酔い?」

 

 

「だからそうだって言ってるじゃないですか。あ、朝礼の時間ですね!」

 

 

素直に打ち明けても良かったのだけれど、今までも散々甲斐との仲を疑われてきて、その度に甲斐は親友だと答えてきたため今さら付き合い始めたとは言いにくいのだ。

 

 

朝礼が終わり始業時間になると、患者さんが続々と押し寄せ待合の椅子はほぼ満席状態になる。

 

 

今日からまた、いつもと同じような日々が始まる。

でも、私の心は昨日までとは全くと言っていいほど違う。

 

 

心身共に満たされた朝を迎えるなんて、いつ以来のことだろう。

 

私の家に甲斐と帰宅

私の家に甲斐と帰宅した頃には、既に空も暗くなり綺麗な満月が暗闇の中に浮かんでいた。

 

 

「甲斐、適当に座ってて。best us stock trading platform今コーヒー淹れるから……」

 

 

リビングに入りバッグをテーブルの上に置き、キッチンの方に向かおうとした私を背後から甲斐が抱きしめた。

 

 

「コーヒーは後にしよ。……今は、早く七瀬が欲しい」

 

 

甲斐の唇が、耳をくすぐる。

ただ触れるだけでこんなにも感じてしまうのは、相手が甲斐だからだ。

 

 

「……私も、甲斐が欲しい」

 

 

「頼むから、あんまり煽らないで。理性なんて簡単に飛ぶから」

 

 

夕焼けを見ながら交わした、触れるだけのキスとは違う。

互いの奥深くに入り込んでいくような、舌を絡めた濃厚なキスを交わす。

甲斐の手が、私の胸の膨らみに伸びていく。

 

 

聞こえるものは、甘い吐息とキスの音だけ……ではなかった。

 

 

「キャンッ!」

 

 

「……」

 

 

「キャンキャンッ!」

 

 

それまで空気を読んで静かにしてくれていたのだろうか。

そこには、お座りをしながら上目遣いで私と甲斐を見上げるもずくがいた。

 

 

当然私たちはそのまま情事を続けることは出来ず、二人で目を見合わせて笑ってしまった。「もずく、ごめんね!もずくのこと、忘れてたわけじゃないんだよ」

 

 

「そういえば、もずくに飯あげた?」

 

 

「あ!忘れてた!」

 

 

慌ててもずくのご飯を用意しながら甲斐を見ると、もずくを抱き上げ満面の笑みを浮かべている。

もずくも以前から甲斐に懐いていて、興奮しながら甲斐の頬をペロペロと舐めている。

 

 

そんな光景を眺めていると、自然と胸がほっこりする。

本当は今夜、甲斐に抱かれることを願っていたけれど、きっともずくが鳴くだろうから無理そうだ。

でも、こんな穏やかな時間が流れるのなら、抱かれなくても別にいいかもしれない。

 

 

「やっぱりコーヒー淹れちゃうね」

 

 

「あぁ、ありがと」

 

 

コーヒーを淹れた後は、膝の上で眠るもずくを撫でながら、私たちは隣同士にソファーに座りテレビを見ていた。

 

 

テレビで流れているのは、甲斐が毎週録画しているほど好きなバラエティー番組だ。

テレビを見ながら楽しそうに笑う甲斐の隣で、私は一人そわそわしていた。

 

 

甲斐が私の部屋にいることに対して、今更緊張しているわけではない。

甲斐が私の恋人になったという現実がいまだにどこか信じられないのだ。「ん?どうした?」

 

 

「何でもない」

 

 

甲斐は完全にリラックスしている状態で、緊張している様子なんて微塵も感じられない。

 

 

「私、先にお風呂入るね」

 

 

「ん、わかった」

 

 

どこかそわそわしている自分が恥ずかしくて、私はお風呂場に逃げ込んだ。

今日一日でかいた汗をシャワーのお湯で洗い流し、上から下まで丁寧に洗っていく。

 

 

今日はもう、セックスするような雰囲気になることはないだろうと思いながらも、同じベッドで眠るのだからいい香りはさせておきたいとお気に入りのボディーミルクをたっぷり使い全身を保湿した。

 

 

お風呂から出ると、甲斐はまだテレビを見ていた。

甲斐の膝の上は、もずくがまるで自分の場所のように占領している。

 

 

少しもずくにヤキモチを妬きそうになりながらも、私は甲斐に声をかけた。

 

 

「甲斐もお風呂入ったら?バスタオルとか適当に用意しておいたよ」

 

 

「うん、ありがと」

 

 

立ち上がった甲斐は、私の頬に軽くキスをしてお風呂場の方へと向かって行った。

 

 

「……」

 

 

それまで普通にテレビを見ていたくせに、こんな自然にキスをしてくるなんて狡い。

不意打ちのキスに驚いて何のリアクションも出来なかった私は、頬に手をやり顔を赤くしたまましばらくその場を動けなかった。どうにか高鳴る胸を抑え、冷静さを取り戻したところで甲斐がお風呂から出てきた。

 

 

後はもう、もずくも一緒にベッドで眠るだけだ。

 

 

「じゃあ、もう夜も遅いし寝よっか。もずくもおいで」

 

 

そう言ってもずくを抱き上げようとした私の動きは、甲斐の手によって止められた。

 

 

「悪いけど、今日はもずくはダメ」

 

 

「え?」

 

 

「もずく、ごめんな。今夜だけは、俺に七瀬を独り占めさせて」

 

 

しゃがみこみ、もずくを撫でながらそう言った甲斐は、すぐに私の手を引いて寝室へと向かった。

 

 

「ちょ、甲斐……」

 

 

「七瀬が欲しいって、俺言ったじゃん」

 

 

甲斐の瞳には、先ほどまで感じられなかった熱が帯びていた。

甘く、愛しい人を見つめるような眼差し。

この視線に、私は弱いのだと知った。

 

 

寝室の扉が甲斐の手によって閉められ、二人の身体はベッドへとなだれ込む。

 

 

熱く濃厚なキスから始まり、甲斐の手が私のシャツをめくりあげる。

胸の膨らみに触れられ、指で弄られると、声を我慢出来ずにはいられなかった。

 

 

「あ……っ」

 

 

「七瀬、可愛い……」

 

 

「や、もう、変なこと言わないでっ……」

 

 

「変なことじゃないだろ。……いつも思ってるんだから」

 

 

前に一度だけ甲斐に抱かれたあの日よりも、今日の方が何倍も感じてしまっている自分がいる。互いの気持ちが一つになったからだろうか。

愛されているのだと知っててするセックスと、ただ身体だけを求めるセックスは何もかもが違う。

 

 

荒い息遣いも、重ねる手の温もりも、触れられたときの気持ち良さも。

 

 

「ねぇ、そんなに見ないで……」

 

 

甲斐の熱い視線が、全身に注がれている。

興奮すると同時に、顔を背けたくなるほどの恥ずかしさも感じてしまうのだ。

 

 

私は決して自分のスタイルに自信があるわけではない。

胸だってもっと大きければ良かったと思うことも多々あるし、お腹だって出来ることならもう少しへこませたい。

 

 

それなのに甲斐は、最上級の誉め言葉をくれるのだ。

 

 

「ごめん、綺麗だからずっと見ていたい」

 

 

「え……」

 

 

「俺、こんなに夢中になった人は七瀬が初めてなんだよ。だから……しつこくしても、許して」

 

 

うっとりするような表情でそんなことを言われてしまったら、私もそれ以上反抗することなんて出来るはずがなかった。

 

 

甲斐の愛撫は止まることなく、私の身体を指と舌を器用に使って絶頂へと誘っていく。

 

 

「やぁ……っ、あ……」

 

 

気付けばもう、目の前にいる甲斐のことしか考えられなくなっていた。

「真白さんと再会してから

「真白さんと再会してから……その、真白さんとは何もなかったの……?」

 

 

甲斐の気持ちを疑っstock trading platform singaporeているわけではない。

でも、どうしても気になってしまうのだ。

実際、二人は頻繁に連絡を取り合っているように感じた。

 

 

「確かに、この間真白からまた付き合いたいって言われたよ。昔のような関係に戻りたいって。でも俺は七瀬のことが好きなんだって、真白と再会した日に伝えてたから」

 

 

「え?」

 

 

頭の中が混乱し始めたため、一度冷静になり真白さんが私に言ったことを思い出してみる。

 

 

「でも真白さんは、甲斐が私のことを親友だって言ってたって話してくれたけど……」

 

 

「何それ。俺はそんなこと、一言も言ってないよ」

 

 

甲斐はきっと、私に嘘をつかない。

それなら、真白さんが私に嘘をついていたことになる。

でも、真白さんを責める気持ちにはならなかった。

 

 

多分彼女も、必死だったのだ。

それほどに、甲斐を手に入れたかったのだと思う。

 

 

そう思うと、他にも彼女はいくつか私に嘘をついていたのかもしれない。

だとしても、それらを鵜呑みにして、甲斐に直接本心を聞き出すことを恐れていた私がいけなかったのだ。

 

 

もっと早く、素直になっていれば良かった。

そうすれば、もっと早く、こんな幸せを知ることが出来たのに。「青柳と桜崎は、俺と真白がヨリを戻すんじゃないかってずっと疑ってたらしいけどね」

 

 

「……私も、思ってた。……真白さんの口から甲斐の名前が出る度に、そんな親しげに名前を呼ばないでって嫉妬してた」

 

 

今思えば、私はみっともないくらい嫉妬していたと思う。

甲斐は私の彼氏ではないのに、勝手に奪われたような気持ちになっていた。

 

 

でも今日からは、甲斐のことを堂々と恋人だと言える。

それがあまりにも嬉しくて、私は溢れる涙をグッと堪えた。

 

 

「……何それ」

 

 

「え?」

 

 

ふと見ると、甲斐は両手で顔を覆いその場にしゃがみこんでしまった。

 

 

「甲斐、どうしたの?」

 

 

「お前が嫉妬とか……ヤバいって」

 

 

「意味わかんないんだけど……」

 

 

私も甲斐に合わせてその場にしゃがむと、彼は私の後頭部に手を回し唇にキスをした。

 

 

それは触れるだけのキスだったけれど、互いの気持ちが伝わるには十分過ぎるものだった。

 

 

「ていうかさ、お前の方こそいいの?」

 

 

「何が……?」

 

 

「久我さん。正直、あの人には太刀打ち出来ないと思ってた。……あんな完璧な男がライバルとか、さすがに心折れそうになった」

 

 

うなだれる甲斐を見て、私は思わず笑ってしまった。「……何だよ」

 

 

「あ、ごめん。何か、甲斐が可愛いなと思って」

 

 

わかりやすい甲斐の様子を眺めていると、母性本能がくすぐられてしまう。

ぎゅっと抱きしめてあげたくなる。

 

 

「はぁ?……何かムカつく」

 

 

「どうして?」

 

 

「お前一人だけ、余裕そうだから。……俺は全然、余裕なんてないよ」

 

 

甲斐の真っ直ぐな視線が、また私を捕らえて動けなくする。

 

 

「ずっとお前のことが欲しくて、欲しくて……やっと手に入れた」

 

 

「……私も余裕なんかじゃないよ。今、凄くドキドキしてる」

 

 

私たちはもう一度目を閉じてキスを交わした。

キスの最中に薄く目を開けると、綺麗な夕日が目に飛び込んできて思わず声を上げてしまった。

 

 

「わぁ……」

 

 

「何?」

 

 

「甲斐、見て。夕日、凄いね」

 

 

「本当だ。こんな綺麗な夕日、初めて見たかも」

 

 

私たちは、自然と手を繋いでいた。

今まで臆病になっていたことが嘘のようだと感じてしまうくらい、私の隣には当たり前のように甲斐がいる。

 

 

隣にいられるだけで幸せだと、心から強く思った。

 

 

「この夕日見てから帰るか」

 

 

「うん」

 

 

私は夕日を眺めるフリをしながら、何度も横目で甲斐の顔を見つめていた。綺麗で幻想的な夕焼けを十分に堪能した後、帰り道の車中で私は甲斐を質問攻めにした。

 

 

なぜ私の居場所がわかったのか。

なぜ蘭と一緒にここへ来たのか。

 

 

「家で休んでたら、桜崎から電話が入ったんだよ。七瀬が、久我さんとドライブに出掛けたって。放っておいたら、あの二人今日にも付き合い始めるだろうって。そう思ったら、家飛び出してた」

 

 

その後、蘭と合流し蘭の指示で積丹に向かってくれたらしい。

 

 

「七瀬の電話がずっと繋がらないから、桜崎が久我さんと連絡取り合ってくれたんだ」

 

 

「え……」

 

 

「桜崎には、本当に感謝してるよ。……それから、久我さんにも」

 

 

確かに久我さんは、二人でいる間何度かスマホで誰かとメールのやり取りをしていた。

きっと仕事関係の人だろうと思い気にしていなかったけれど、その相手は蘭だったのだと今わかった。

 

 

「……私も、後でちゃんとお礼言っておくね」

 

 

「七瀬からは、久我さんに何も言わなくていいよ。今度俺が七瀬の分もちゃんと伝えておくから」

 

 

「……」

 

 

もしかして、これは甲斐の嫉妬なのだろうか。

久我さんとは連絡を取ってほしくない。

そんな気持ちが込められているのだろうかと思い、運転している甲斐を見つめていると、信号が赤になったところで甲斐と目が合った。「言っておくけど、俺意外と嫉妬深いから」

 

 

「……」

 

 

どうしよう。

胸が高鳴るどころか、ドキドキし過ぎて痛くなる。

甲斐が私を見つめる眼差しが、今までのものとは違う。

何十倍も甘く感じてしまう。

 

 

私の心臓、高鳴り過ぎて壊れないだろうかと本気で心配してしまった。

 

 

「もちろん俺も、真白とはもう連絡取らないから」

 

 

「え……」

 

 

「七瀬を不安にさせるようなことはしたくない」

 

 

甲斐と真白さんがこれからも連絡を取り合うようなら、自分に自信のない私はきっと不安で仕方なくなる。

それを、何も言わなくても甲斐はわかってくれている。

 

 

ちゃんと真っ直ぐに私を想ってくれていることが、何気ない言葉から伝わってくる。

こんなに嬉しいことがあってもいいのだろうか。

 

 

「……甲斐、ありがとう」

 

 

「何が?」

 

 

「全部」

 

 

「何だ、それ」

 

 

笑われてしまったけれど、甲斐の全てに感謝している。

私を好きになってくれたことも、出会ったときからずっと好きでい続けてくれたことも、こんな幸せを教えてくれたことにも。

 

 

「……今日、七瀬の家に行ってもいい?」

 

 

「……うん」

 

 

十分甘過ぎる甲斐だけれど、彼の甘さはこんなものではなかったのだと、二人で家に帰ってから私は身を持って思い知ることになる。

 

何処までが羊を買

 ……何処までが羊を買いに行く俺の計画で、何処からが夢だったんだろうな。

 

 眩しい朝の光の中、蓮太郎は、朱古力瘤 ぼんやりする。

 

 夢もリアルな世界での思考もあまり境目がなく。

 

 何処からが夢だったのか、自分でも判別がつかなかった。「いや、どうしたら、蓮形寺とラブラブになれるのかなと」

 

「ははは。

 そんなこと、頭で考えてるうちはなれないよ。

 

 でも、最近、姫はさあ。

 前と違って、れんれんに……」

 

 そこで、ビクッと紗江は振り返る。

 

「なになになに~っ。

 れんれんが付いてくるっ。

 

 道馬くん、とってとってとってーっ」

と蓮太郎を虫かなにかのように言い、逃げ惑う。

 

 紗江の足が速くなったので、自分もさらに早足になりながら、蓮太郎は言った。

 

「いやいや、紗江さんがしゃべりながら行ってしまうからですよ」

 

 紗江はいつものように、話している途中でもう歩いていってしまっていたのだが。

 

 今日は気になりすぎて付いていってしまったのだ。「いや~、れんれんがザカザカやってくるーっ。

 道馬くーんっ」

と紗江は叫んだが、道馬は社食の入り口で女子社員と笑顔で話していた。

 

 チャラいのやめるんじゃなかったのか……と思いながらも、蓮太郎は紗江に付いていく。

 

「たいした話じゃないっ。

 たいした話じゃないって、れんれんーっ。

 

 あっ、姫ーっ」

 

 紗江はたまたま現れた唯由に泣きついていた。

 

 

 どう過ごしていいかわからないな、と思っていた。

 

 旅行まで緊張しすぎて。

 

 そんなことを考えながら、社食に向かって歩いていた唯由の許に紗江が逃げ込んでくる。

 

「れんれんがっ。

 れんれんがっ。

 

 私が、最近、姫が……

 

 唯由ちゃんが、れんれんに対して、すごく気を許してる感じがするって言おうと思ったら、何処までもついてきてっ。

 

 唯由ちゃんっ、助けてっ。

 

 唯由ちゃんっ、なんで逃げるのっ。

 

 私、唯由ちゃんが最近、れんれんのこと、前より好きみたいって言いたかっただけなのにっ。

 

 なんで走っていなくなるのっ、唯由ちゃーんっ」 とってもとってもいい人なんだけどっ。

 

 今だけ、ハタキで、えいっ、てやりたいです、紗江さんっ、と思いながら、唯由は今、出てきた本館に走って戻った。

 

 何度目かの羊が飛び込んでくる夢のあと。

 

 ようやく旅に出る日が近づいてきた。

 

 だが、準備が整っていない気がする、と蓮太郎は思っていた。

 

 荷物はそろっている。

 

 だが、ラブラブになれていない。

 

 仕事も土日にかからないよう調整した。

 

 だが、ラブラブになれていない。

 

 大野に行ってくれと頼まれたらしいコンパも止めた。

 

 だが、ラブラブになれていない。

 

 止めるのに、結構すったもんだしたのにな、と蓮太郎は思う。「コンパに来るような男は、油断ならないぞ。

 ロクなもんじゃないと思う」

 

「いや、あなたも来てましたよね……」

 

「自転車の奴みたいな、いい奴が来るかもしれないぞ。

 危険じゃないか」

 

「いい人が来るのになにが危険なんですか?」

 

「お前が俺との愛人契約を破って、そいつを好きになるかもしれないじゃないか」

 

「……そういえば、呑みに行ったんですか? 自転車の人と」

 

「行った」

 

 そんな会話のあと、なんとか止めたと道馬に言ったら、

 

「よくそんなんで止められたな。

 っていうか、名前、覚えてやれ、自転車の人」

と言っていたが。 ラブラブになる努力は一応した。

 

 どんなに忙しくとも寝る前には、メッセージのやり取りをするようにしたのだ。

 

 だが、朝、冷静に見ると、その内容が毎度、しょうもない。

 

「家に帰ったら、ムカデが死んでいました(ハート)

 季節の移ろいを感じます」

 

 まあ、ムカデ、夏の季語だしな……と思いながら、

 

「何故、そこで、ハートマークだ」

と訊いてみた。

 

「いや、ショックをやわらげようかと」

 

 蓮太郎は朝日の中、珍しくメッセージにハートマークがついているのに、なにもラブラブな感じがしない、と思いながら、スマホを見つめていた。

 

 またある日には、

 

「昨日一緒にスーパーに行って買った手抜きプルーン美味しかったです」

と唯由が報告してきた。

 

「タネ抜きプルーンでは……」

 

 仕事が忙しくあまり会えないので、らしくもなくせっせと平安時代の公達のように文(?)を送っているのに、どうも思っているような展開にならない。

 

 しかし、手抜きプルーンか。

 

 手抜きが上手いのは、早月さんでは……。

 

 朝、研究棟の前の自動販売機に向かいながら、そんなことを思っていたせいだろうか。

 

 本館に向かう道に、早月の幻が見えた。

 

 ナース服を着ている。

 

「あら、蓮太郎くん」 早月は若いナース服の女性と人の良さそうな医者っぽいおじいちゃんを従えて歩いていた。

 

「……早月さん、何故、此処に?」

と驚き訊いた蓮太郎の後ろから、さらに驚いた声がした。

 

「?」

 

 背後に道馬が立っていた。

 

「あら、道馬さん。

 こんにちは」

と普通に道馬に挨拶している彼女は、道馬の元カノだと名乗る。

 

「何故、此処に」

と蓮太郎と同じことを道馬が問うと、潔子は、

 

「血を抜きに来たの」

と言う。

 

 すると、早月が後ろから潔子の両肩に手を置いて言った。

 

「血を抜きに来た人について来たの」

 

 潔子がそんな早月を振り返り、文句を言う。

 

「師長~っ。

 なに自分だけ仕事すまいとしてるんですか~」

 

「いやいや、私、唯由と蓮太郎くん見に来ただけだから」

 

 そういえば、今日から健康診断だったな、と蓮太郎は思い出す。

 

 うちの会社の健康診断やってんの、早月さんとこの病院だったのか……。

 

 普段はわざわざ忙しい師長が来ることなどないだろうから、今まで見たことがなかったのだ。

 

 今年は、娘と娘にひっついている怪しい男が、この会社に勤めていると聞いて来てみたんだろうな……。

 

 そう思ったとき、

 

「あれっ、早月ちゃんだ~」

と手を振りながら、研究棟から紗江が現れた。

 

 旅行が楽しみすぎて、それまでどう過ごしていいのかわからない。

 

 そんなことを思いながら、蓮太郎は次の日、社食に向かい、歩いていた。

 

 すると、その道中、道馬と一緒になる。

 

 あ、月子に狙われてる道馬……と思ったが、月子がせっせと料理の特訓をしていることは黙っておいた。

 

 なんとなく道馬に旅行の話をすると、

「ほう。

 お前にしては、ちゃんと進展してるんだな。

 

 旅行までどう過ごしていいかわからないって。

 当日、楽しく過ごせるように、それまでに、よりラブラブになっておけばいいじゃないか」

 

 そう道馬はアドバイスしてくれた。「より、ラブラブに。

 どうやったらなるんだろうな」

 

 すると道馬は意外にもそこで考え込んだ。

 

 改めて聞かれてもわからない、と言う。

 

「いちいち、頭で考えて動いたことないからなー」

 

「そういえば、訊いておいてなんなんだが。

 そもそも、チャラいと評判のお前の言うことなど聞いて大丈夫なのだろうか」

 

「……いくら歯に衣着せぬ雪村とは言え、同期から正面切って、チャラいとか言われると、もう落ち着いてもいい年だし、不安になるな」

 

 二人で、うーん、と考えながら社食に入ろうとしたとき、ちょうど紗江が出てきた。

 

「今日の日替わり、洋食はタンシチュー。

 美味しかったよ~。

 

 どうしたの? 二人で渋い顔して」

 はっ、しまったっ。

 はっ、しまったっ。

 ぼんやりしてたっ、と唯由が無意識のうちに仕上げてしまった蝶を見ながら思ったとき、

 

「さ、月子。

 帰るわよ」

と早月が立ち 避孕藥 上がった。

 

「えーっ?

 もうですのっ?」

 

 まだお姉様に林檎の皮のむき方、習ってるところなんですが」

 

 残念がる月子を急かして、早月は言う。

 

「林檎の皮むき機でも買いなさいよ」

 

「そんなのあるんですの?」

 

「あるわよ。

 今は可愛いのがいろいろ」

 

 お母さん、林檎の皮むくために、そんなかさばりそうなもの買うんですか……。

 

「まあ、うちのは業務用だけどね」

 

 いや、一体、何個林檎むいてるんですか、と思ったが。

 

 忙しいときの家事は金ですべて解決な早月らしいと思った。

 

 まあ、家電や便利グッズそろえた方が家政婦さん雇うよりは安いかな……。「じゃあね、蓮太郎くん。

 唯由をよろしく」

 

 振り返りそう言って、早月は去っていった。

 

 ……なにしに来たんだろうな、あの人。

 

 滅多に覗かないのに。

 

 保子からのメッセージが来ているようだった。

 

 そのスマホを見て気づく。

 

 もしかして、保子さんから、私たちが旅行に行くことを聞いてて、様子を見に来たんだったのかな?

 

 スマホを手にメッセージを見ていると、蓮太郎がすぐ側に来ていた。

 

 なんとなく一歩後退すると、蓮太郎も何故か下がる。

 

「……何故逃げる」

 

 いや、あなたも逃げてますよ、と思いながら、唯由は蓮太郎を見た。 蓮太郎は沈黙して、唯由の顔を見つめたあと、

「みんな帰ったから、俺も帰るよ」

と言ってきた。

 

「あ、そ、そうですか。

 わかりました。

 

 そういえば、駐車場、月子がとめてましたよね?」

 

 ああ、と蓮太郎は窓の外を見る。

 

「だから、いつものコインパーキングに入れてきた」

「そうなんですか、すみません」

 

 駐車場まで送っていきましょうか、と唯由が言うと、いやいい、と言いかけた蓮太郎だったが、

 

「……そうだな。

 送ってもらおうか」

と言う。

 

「俺がそのあと、此処までお前を送ってやるから」

 

 いやだから、それ、面倒臭くないですか? と思っていたのだが。

 

 実際に唯由の口から出た言葉は、

「……はい」

だった。

 

 

 

 一度、車を駐車場から出し、物陰にとめた月子たちは二人の様子をうかがっていた。

 

「あの男は莫迦ですのっ?

 せっかくお姉様と二人きりにして差し上げましたのに。

 

 何故、すぐに出て来るんですのっ?」

 

 しばらくすると、蓮太郎が車に唯由を乗せて戻ってくる。

 

 唯由が中に入るのを見届け、蓮太郎は帰っていった。

 

「わざわざ送ってもらって、また送ってくるとか。

 なんで、あんな面倒臭いことをするのかしら?」

 

「あれが恋というものよ、月子」

 

 なんだかんだで一緒にいたいのよ、と早月は言う。

 

「今の状況をあんたとあんたの好きな人に置きかえてごらんなさいよ」

 

 月子はしばらく黙り、妄想にふけったあとで、

「ときめきますわっ」

と叫んだ。

 

「そう。

 よかったわ。

 

 月子。

 私、朝、早いからついでに送ってね」

 

 助手席から早月に言われた月子は、

 

「わかりましたわっ。

 お姉様のお母様っ」

と発進したが、すぐに早月に叫ばれる。「ごめん、降ろしてっ。

 私、忙しいのっ。

 

 入院するわけにはいかないのっ。

 自分の病院に担ぎ込まれるのも嫌っ」

 

 あんた、もう一回、教習所行ってきなさいっ、と住宅街から広い道に出る前にもう、派手に駄目出しされていた。

 

 

 唯由を送ったあと、アパートから出ようとした蓮太郎は窓際に唯由が立っているのに気がついた。

 

 他の男に見初められてはいけないから、カーテンも開けるなと言ったので、唯由は、ちゃんとカーテン越しに送ってくれているようだった。

 

 ……莫迦なことを言っているという自覚はちょっとだけある。

 

 そんな自分の阿呆な話を唯由がちゃんと聞いてくれているのは、たぶん、ごちゃごちゃ言われたら、面倒臭いからだろう。

 

 だが、蓮太郎自身は、自分でカーテンも開けるなと言ったくせに、別れ際に顔が見られなかったことを寂しいと感じていた。

 

 勝手なもんだな、と自分で思う。

 

 

 

 そして、自宅に帰り、寝ようとしたところで気がついた。

 

 怒涛の騒ぎで実感がなかったが、そういえば、キャンセルが出たから旅行に行けることになったんだったと。

 

 この間の旅は、日帰りだったし。

 

 生首にされそうになったり、バズーカで撃たれそうになったりで、落ち着かなかったが。

 

 今度は二人でゆっくりできる。

 

 そう思うと、なんだか眠れなくなってきた。

 

 蓮太郎はそれでもベッドに入り、目を閉じる。

 

 明日の仕事に差し支えるからだ。

 

 だが、唯由の笑顔ばかりが浮かんできて眠れない。

 

 駄目だっ、眠れないっ。

 

 何度目かの寝返りのあと、蓮太郎は思った。

 

 羊だ。

 羊を買いに行かなければ!

 

 蓮形寺のじいさんみたいにっ。 だが、こんな時間に何処で羊を売っているのかわからず。

 

 そういえば、以前、テレビで食料品から車から鍾乳石まで売ってるスーパーを見た。

 

 あそこに羊はいるだろうかと思う。

 

 蓮太郎は頭の中で、羊を買いにスーパーのある九州に飛ぶシミュレーションをしてみた。

 

 この時間に飛んでる飛行機はないから、自家用飛行機で飛ぶか。

 

 それか、夜行列車で行くか。

 

 蓮太郎は唯由とともに、殺人事件が起きそうな豪華列車に乗り込んだ。

 

 だが、たどり着いたスーパーには置物のタヌキはいたが、羊はいなかった。

 

 仕方なく唯由とふたり、練行の牧場に向かい、羊を連れ出そうとしたが、家政婦の雅代にグレネードランチャーで狙われる。

 

 練行の家の広い庭にあったリンカーンに唯由と飛び乗って逃げようとしたが、パリン、と窓を割り、羊が飛び込んできた。

 

「そうかっ。

 お前が敵の工作員だったのかっ」

 

 まんまと騙されていたっ、と叫んだところで目が覚めた。