何処までが羊を買
……何処までが羊を買いに行く俺の計画で、何処からが夢だったんだろうな。
眩しい朝の光の中、蓮太郎は、朱古力瘤 ぼんやりする。
夢もリアルな世界での思考もあまり境目がなく。
何処からが夢だったのか、自分でも判別がつかなかった。「いや、どうしたら、蓮形寺とラブラブになれるのかなと」
「ははは。
そんなこと、頭で考えてるうちはなれないよ。
でも、最近、姫はさあ。
前と違って、れんれんに……」
そこで、ビクッと紗江は振り返る。
「なになになに~っ。
れんれんが付いてくるっ。
道馬くん、とってとってとってーっ」
と蓮太郎を虫かなにかのように言い、逃げ惑う。
紗江の足が速くなったので、自分もさらに早足になりながら、蓮太郎は言った。
「いやいや、紗江さんがしゃべりながら行ってしまうからですよ」
紗江はいつものように、話している途中でもう歩いていってしまっていたのだが。
今日は気になりすぎて付いていってしまったのだ。「いや~、れんれんがザカザカやってくるーっ。
道馬くーんっ」
と紗江は叫んだが、道馬は社食の入り口で女子社員と笑顔で話していた。
チャラいのやめるんじゃなかったのか……と思いながらも、蓮太郎は紗江に付いていく。
「たいした話じゃないっ。
たいした話じゃないって、れんれんーっ。
あっ、姫ーっ」
紗江はたまたま現れた唯由に泣きついていた。
どう過ごしていいかわからないな、と思っていた。
旅行まで緊張しすぎて。
そんなことを考えながら、社食に向かって歩いていた唯由の許に紗江が逃げ込んでくる。
「れんれんがっ。
れんれんがっ。
私が、最近、姫が……
唯由ちゃんが、れんれんに対して、すごく気を許してる感じがするって言おうと思ったら、何処までもついてきてっ。
唯由ちゃんっ、助けてっ。
唯由ちゃんっ、なんで逃げるのっ。
私、唯由ちゃんが最近、れんれんのこと、前より好きみたいって言いたかっただけなのにっ。
なんで走っていなくなるのっ、唯由ちゃーんっ」 とってもとってもいい人なんだけどっ。
今だけ、ハタキで、えいっ、てやりたいです、紗江さんっ、と思いながら、唯由は今、出てきた本館に走って戻った。
何度目かの羊が飛び込んでくる夢のあと。
ようやく旅に出る日が近づいてきた。
だが、準備が整っていない気がする、と蓮太郎は思っていた。
荷物はそろっている。
だが、ラブラブになれていない。
仕事も土日にかからないよう調整した。
だが、ラブラブになれていない。
大野に行ってくれと頼まれたらしいコンパも止めた。
だが、ラブラブになれていない。
止めるのに、結構すったもんだしたのにな、と蓮太郎は思う。「コンパに来るような男は、油断ならないぞ。
ロクなもんじゃないと思う」
「いや、あなたも来てましたよね……」
「自転車の奴みたいな、いい奴が来るかもしれないぞ。
危険じゃないか」
「いい人が来るのになにが危険なんですか?」
「お前が俺との愛人契約を破って、そいつを好きになるかもしれないじゃないか」
「……そういえば、呑みに行ったんですか? 自転車の人と」
「行った」
そんな会話のあと、なんとか止めたと道馬に言ったら、
「よくそんなんで止められたな。
っていうか、名前、覚えてやれ、自転車の人」
と言っていたが。 ラブラブになる努力は一応した。
どんなに忙しくとも寝る前には、メッセージのやり取りをするようにしたのだ。
だが、朝、冷静に見ると、その内容が毎度、しょうもない。
「家に帰ったら、ムカデが死んでいました(ハート)
季節の移ろいを感じます」
まあ、ムカデ、夏の季語だしな……と思いながら、
「何故、そこで、ハートマークだ」
と訊いてみた。
「いや、ショックをやわらげようかと」
蓮太郎は朝日の中、珍しくメッセージにハートマークがついているのに、なにもラブラブな感じがしない、と思いながら、スマホを見つめていた。
またある日には、
「昨日一緒にスーパーに行って買った手抜きプルーン美味しかったです」
と唯由が報告してきた。
「タネ抜きプルーンでは……」
仕事が忙しくあまり会えないので、らしくもなくせっせと平安時代の公達のように文(?)を送っているのに、どうも思っているような展開にならない。
しかし、手抜きプルーンか。
手抜きが上手いのは、早月さんでは……。
朝、研究棟の前の自動販売機に向かいながら、そんなことを思っていたせいだろうか。
本館に向かう道に、早月の幻が見えた。
ナース服を着ている。
「あら、蓮太郎くん」 早月は若いナース服の女性と人の良さそうな医者っぽいおじいちゃんを従えて歩いていた。
「……早月さん、何故、此処に?」
と驚き訊いた蓮太郎の後ろから、さらに驚いた声がした。
「?」
背後に道馬が立っていた。
「あら、道馬さん。
こんにちは」
と普通に道馬に挨拶している彼女は、道馬の元カノだと名乗る。
「何故、此処に」
と蓮太郎と同じことを道馬が問うと、潔子は、
「血を抜きに来たの」
と言う。
すると、早月が後ろから潔子の両肩に手を置いて言った。
「血を抜きに来た人について来たの」
潔子がそんな早月を振り返り、文句を言う。
「師長~っ。
なに自分だけ仕事すまいとしてるんですか~」
「いやいや、私、唯由と蓮太郎くん見に来ただけだから」
そういえば、今日から健康診断だったな、と蓮太郎は思い出す。
うちの会社の健康診断やってんの、早月さんとこの病院だったのか……。
普段はわざわざ忙しい師長が来ることなどないだろうから、今まで見たことがなかったのだ。
今年は、娘と娘にひっついている怪しい男が、この会社に勤めていると聞いて来てみたんだろうな……。
そう思ったとき、
「あれっ、早月ちゃんだ~」
と手を振りながら、研究棟から紗江が現れた。
旅行が楽しみすぎて、それまでどう過ごしていいのかわからない。
そんなことを思いながら、蓮太郎は次の日、社食に向かい、歩いていた。
すると、その道中、道馬と一緒になる。
あ、月子に狙われてる道馬……と思ったが、月子がせっせと料理の特訓をしていることは黙っておいた。
なんとなく道馬に旅行の話をすると、
「ほう。
お前にしては、ちゃんと進展してるんだな。
旅行までどう過ごしていいかわからないって。
当日、楽しく過ごせるように、それまでに、よりラブラブになっておけばいいじゃないか」
そう道馬はアドバイスしてくれた。「より、ラブラブに。
どうやったらなるんだろうな」
すると道馬は意外にもそこで考え込んだ。
改めて聞かれてもわからない、と言う。
「いちいち、頭で考えて動いたことないからなー」
「そういえば、訊いておいてなんなんだが。
そもそも、チャラいと評判のお前の言うことなど聞いて大丈夫なのだろうか」
「……いくら歯に衣着せぬ雪村とは言え、同期から正面切って、チャラいとか言われると、もう落ち着いてもいい年だし、不安になるな」
二人で、うーん、と考えながら社食に入ろうとしたとき、ちょうど紗江が出てきた。
「今日の日替わり、洋食はタンシチュー。
美味しかったよ~。
どうしたの? 二人で渋い顔して」